モアレた日記

モアレた日記

なんだこの自己満ブログ

モアレた日記

【読了レビュー】『露出せよ、と現代文明は言うー「心の闇」の喪失と精神分析』立木康介

 

 

遂に精神的の漂浪者となって、安心立命の地を失った科学文化の先覚諸国民は、相率いて自殺、自瀆(じとく)同然の思索生活に陶酔し、然らざるものは無良心の個人主義と化し去り、単なる下等生物と同様の私利私欲に退化し去って、享楽を最終の目的とし、(中略)物質文化の充実、向上を求めるようになりました。

 

 現代において、私たちは「本当の心」を晒さずにはいられない。晒さなくとも、他人の「本当の心」を楽しみ、消費している。例えば、薬物への陶酔をブログやSNSで自慢したりする。例えば、自分の病気についてブログで公開する。そうやって、自分の心のうちを晒し、また楽しまないとやっていけない世の中である。つまり、自分の「心」でさえ、公開し、消費できるものになってしまったという時代の訪れだ。

 

 

 この本は、物質文化の台頭とともに失われた「心」について論じ、現代がどのような危機の中にあるかについて、ラカン理論やフロイトの無意識理論を通して語られている。専門書ではあるが、比較的読みやすかった。冒頭で引用したのは、夢野久作「自己を公有せよ」の一文である。私がこの本を読んでいてたまたま思い出したので引用してみた。享楽を最終の目的とし、堕落していく人間を久作は嘆いていたようだ。

 

 特に印象に残った論説は、「現代は物質文化(露出する文化)を重視するあまり、無意識(フロイト的無意識)を無視してしまっている。これが社会の不健康、最たるは自殺などの社会問題につながっている」という部分だ。

 わかりにくいと思うので、具体的に説明する。私たちの多くは科学を信仰している。なので、どうしても数字や実物が存在するものに兎角執着しがちだ。だから心に関しても、数字で見えるもの、例えば心拍数や脳波で、不安の度合いを把握したがる。だが、不安というのはたんなる心拍数の上昇や脳波の変化ではないはずだ。皆さんも経験していると思う。何かに大して思い悩んだり、不安になったりして「考える」ことを単に脳の電気信号変化だと捉える人は少ないだろう。

 「心」は「数字や実物が存在するもの」ではない。故に、「心」は度外視される。そうやって現代において「心」は不可避的に痩せ細って行く。そして遂には…

 

 

 日頃SNSやこのブログで、自分の心情についてダダ漏れにしている自分にとっては、怖い一冊となった。今は、「全てを公開しなくてもいいじゃないか。秘密(無意識)があってもちろんだ」と心から思う。最後にこの本にピッタリな漱石の一文を引用して終わりとする。

 

それでなければ化石になりたい。赤も吸い、青も吸い、黄も紫も吸い尽くして、元の五彩に還す事を知らぬ真黒な化石になりたい。それでなければ死んで見たい。

夏目漱石虞美人草

 

 たくさんの煌びやかな輝き、言わば思い出を閉じ込めて眠る「化石」。これは、私たちが忘れてしまった姿そのものではないか。化石になれないのなら、死んでしまいたいとさえ言う。その秘密を閉じ込めるという強い決意に、憧れすら感じる一文である。