眉目秀麗、文武両道にして完璧な優しさを持つ青年、漱太郎。しかしある嵐の日、同級生の夢生はその悪魔のような本性を垣間見る―。天性のエゴイストの善悪も弁えぬ振る舞いに魅入られた夢生は、漱太郎の罪を知るただ一人の存在として、彼を愛し守り抜くと誓う。切なくも残酷な究極のピカレスク恋愛小説。
そんなの、映画の中だけの話ですよ。人の行動に伏線なんかない。衝動しかないんだ。あと、運命しか。
はらだ先生のような、ダーク・ドロドロ系のBLが好きな人はどストライクだと思います!!!!!!
夢生は、漱太郎の悪魔のような一面に惹かれ、彼を愛し守り抜くと心に誓う。彼の罪を聞く自室を「懺悔室」と表現した。暗闇と罪の間にある美しさがとても良かった。
彼は紳士=ジェントルマンでありながら、内なる欲望を抑えられない。というか、抑えられないのではなく、「抑えない」。ジェントルマンのような行動も、衝動と本能のひとつなんでしょうね。自然に湧き上がる優しさを持っている一方で、残虐な欲望も湧き上がる。
「決して一番にはならない」とかその辺の描写で、「吉良吉影感あるな〜」とも思いましたが…
「私は人を殺さずにはいられないというサガを背負っているが、幸福に生きてみせるぞ!!」
って言ってたりして、彼は人を傷つけること自体を罪だと認識してるんですよね。対してこの「ジェントルマン」の漱太郎にはそれがない。
(一方で「懺悔室」である夢生の部屋には足繁く通っているから、無意識下にはそれがあったんじゃないかとか…描写されてはないので、モヤモヤする〜)
以下重大なネタバレ
・瀬太郎が夢生に殺されたのは衝動か、運命か?
出会って以来、初めて、僕は、君よりも自分を愛した
一見この文章からは衝動的な殺人に思えますが、自分は運命だとも思いました。罪を聞き続けた夢生には、瀬太郎の罪を罰する権利がある。
大事な存在の唐突な死に直面した時、人が運命に対して駄々をこねるものだと、初めて知ったのである。
母の死に目には、こうではなかったと、夢生は思い出した。(中略)しかし、母が大切ではなかったのかというとそうではない。希望の終わりに寄り添う人と、希望の始まりに飛び乗ろうとする人に対する差だ。
僕は、君の言葉の雫を吸い取り(中略)君の子供を孕むだろう。
「瀬太郎の死」は、夢生にとって「希望の終り」だった。瀬太郎との透明な赤子(=純粋な残虐性)を孕むという、終着点だった。だから夢生は「瀬太郎の死」という運命に駄々をこねなかった。
夢生が最後に歌う「春の小川」は、まさに、運命に抗わず、美しく生きる自然の姿を描いている。