モアレた日記

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なんだこの自己満ブログ

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【コラム】褒めらにあんになりましょう

 

父親に「お前は穏やかなタイプだから、どんなグループでもやっていけるよ」と言われた事がある。

自分自身そうとは全く思わなかったし、言われたこともなかったから、咄嗟に「絶対違うよ」と言ってしまった。けれども、どこか嬉しい気持ちが心の底にずっとあった。

 

どうやらこれは「自己証明効果」という、「褒め上手」が(無意識に)使う心理効果だと最近知った。外見や肩書きではなく内面的なこと、つまりは一歩踏み込んだ事を褒めると、人間は嬉しく感じるという現象だ。

 

また、父は、私の「絶対違うよ」という言葉のあとに、「ジョハリの窓」について教えてくれた。

 

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引用元

 

ジョハリの窓とは、自己の見え方を主観的な視点と客観的な視点から分類した表(それを四つの窓に例える)のことを言う。

①開放の窓
自分も他人も知っている自己。
開放の窓が広い人というのは、1人でいるときも人前でいるときもあまり変わりがない、つまりあまり裏表のない自然体な人ということが出来るのかもしれません。

②盲点の窓
他人は知っていますが、自分は知ることのない自己。
自分のことは案外わかっていないという言葉がありますが、それにあたるのかもしれません。

③秘密の窓
他人は知りませんが、自分は知っている自己。
家庭の顔と仕事の顔が違う場合には、仕事の同僚にとって、その人の家庭の顔は秘密の窓にあたります。

④未知の窓
自分も他人も知ることない自己。
これは、瞑想をして発見をしていくような自己、もしくは自己成長の結果として表れてくる自己のように自分も他人も未だ知ることない部分です。

 

この「自己証明効果」「ジョハリの窓」の話を合わせて考えると、人間というのは、秘密の窓から見た自己と盲点の窓から見た自己を指摘すれば、嬉しくなってしまうという事ではないか。

 


 

A→褒める人

B→スポーツが趣味。長男でしっかりしてるが成績は悪い。

 

【秘密の窓から見た自己を指摘する例】

 

A「B君、スポーツが趣味なんだね。練習と自分の時間の分け方とか、自己管理出来るのってすごくしっかりしてるなぁ」

 

B「ありがとう!」

 

【盲点の窓から見た自己を指摘する例】

 

A「Bくんって頭良いよね。試合とかで、作戦勝ちみたいなことよくあるから」

 

B「(そんな事言われた事ないけど、言われたってことはそうなのか?!)ありがとう!」

 

(注)全ての窓はグラデーション

盲点の窓から見た自己が、指摘されることで秘密の窓から見た自己となることもある。「言われたってことはそうなのか?!」はその移動の例

「言われてみればそうかも」という感覚も、「盲点の窓」と「秘密の窓」が曖昧な関係であることを示している

 

 

 


 

・相手の秘密の窓を見つけるには

 

秘密の窓から見た自己を他人が完全に理解することは不可能。だが推測は出来る。

スポーツが得意なら、辛い練習に耐えてきた忍耐力や練習時間を管理することができる自己管理能力など、一歩先を推測する褒め方をする。そうすると自然と、秘密の窓から見た自己の指摘ができる

 

・相手の盲点の窓を見つけるには

 

他人から見て、その特徴が「盲点の窓」「秘密の窓」のどちらに属するのか見分けるのは困難。なので、「秘密の窓」と同じ方法でアプローチする。一歩先を推測した褒め方は、「秘密の窓の自己」「盲点の窓の自己」のどちらを指摘するか指定することができない。だが、相手を不快にさせることは絶対にない。

 

 

(注)指摘してはいけない窓・開放の窓

 

上記で、「一歩踏み込んだ褒め方は盲点と秘密の窓の自己を指摘する」とした。では、「一歩踏み込まない褒め方」は何を指摘しているかというと、「開放の窓の自己」である。

 

「自己証明効果」の実験によると、分かりきったこと(肩書き、見た目など)を褒めることはあまり良い印象を与えることはないらしい。むしろ、「あーはいはい、それね」と、嫌悪されてしまう可能性すらある。

 

 

まとめ

人を褒めるときは、「一歩踏み込んだ褒め方」を意識しよう!

相手が「自分ってそうなのか…?」「うんうん、そういうとこあるんだよね」のどちらの反応をしても、良い雰囲気にはなるから