かの有名な、山月記の「我が臆病な自尊心と尊大な羞恥心」というのは、心理学用語では「劣等コンプレックスと優越コンプレックス」というらしい。
「コンプレックス」というのはcomplex、つまり複雑な心理状態を指す。また「劣等感」は目標(または目標としている人)との比較によって生まれる感情のこと。「劣等感」をバネとして、努力した結果成功する人も多くいる。
では、劣等コンプレックスとは一体何なのか。それは「劣等感」を言い訳にして、人生の課題への努力から逃げ出すことである。「劣等感」の原因を、環境や人のせいにして、目標への自己努力を放棄してしまう。(つまり劣等感からの逃避行動)
一方、この劣等コンプレックスを無視しようとして生まれるのが「優越コンプレックス」。これは「劣等感」を無視し「本当は自分は優れているのだ」と思い込むことである。努力とは、劣等感と向き合ってするものだ。だからこの時、優越コンプレックスを持った人は本当の努力をしない。自慢したり、他人をバカにしたりして、優越感だけを得る。
(分かりやすい図があるので引用)
つまり、李徴は「文学の才能が無い」という劣等感に対して、「臆病な自尊心(=自尊心の強さゆえに傷つけられることを恐れる)、尊大な羞恥心(=羞恥心の強さゆえに偉ぶった態度をとってしまう)」を持っていた。ここでいう臆病な自尊心が劣等コンプレックスのことであり、尊大な羞恥心が優越コンプレックスなのだ。
ここまでが導入なのですが(長い)
昨日、こんな文章を見つけました。
女子はいつの間にか「ふざけんな!」「待てよ!」という言葉を捨てさせられ、おしとやかで美しいことを選ばされる。
(元記事はこちらから)
最近、隣に並ぶ友人の長いまつ毛を見て思う事がある。「ああ、自分も『そう』しなければならないのか」
この、「無理矢理化粧をしている」という感覚自体、劣等コンプレックスの塊にしか思えなくて、ムズムズする。「自分は本気で化粧やってるわけじゃ無い。だから容姿は優れていない」みたいに。自分の容姿を認められない、この世間一般に広がるルッキズムが作った「劣等感」を、逃避している。さらに、その逃避は、「本気で化粧すれば端麗になれるのではないか」という優越コンプレックスにも繋がる。
この「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」は誰が作ったのでしょうか。
世間でしょうか。自分でしょうか。
それがずっと引っかかっていて、「反ルッキズム」みたいな話を聞くと、山月記を思い出します。
でも実際、この動画からも分かるように、容姿なんて自分じゃ分からんからな