モアレた日記

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なんだこの自己満ブログ

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子供嫌いが子供のバイトしてる理由

 

 

子供が苦手だ!!!

 


この感覚は昔からあったように思う。最初は「子供」という存在への無知からくる不快感だった。人間、「わからない」ものは「怖い」「関わりたく無い」「苦手」と思ってしまう。特に、学生は幼児や児童と触れ合う機会が無い。そう思い込んでしまうのも仕方ない。

そこで私は「本当に子供が苦手なのか」検証すべく、児童館でバイトを始めた。もうすぐ2年になる。

 


子供と関わる仕事、というのは大変だ。最初は、子供が何を考えているのか全くわからなかった。いきなり走り出したり、叫んだり、こいつらは動物であると定義した方が良い。言うことを聞かないこと、非合理的なことにイライラする。

 

…とだけ思っていたのだが、ある日児童とある会話をしたのだ。それは、私の世代(母親世代は分からないであろう)のゲームの話だった。確かにゲーム内の行動は未熟だった。例えば、マイクラはクリエイティブしか使わないとか、ポケモンはムゲンダイナが最強だとか、スプラはローラしかできないとかだ。私はこの話をしている時は、アドラーの言う「尊敬」の状態だったと思う。イクラをその視点で楽しむという新しさ…いうなれば私が小学生の頃純粋に楽しいと思っていた頃のキラキラとした情動を思い出した。そして、それをいとも容易く得て、別の形でゲームを楽しむ子供に対して「尊敬」したのだった。

子供たちの遊びは、私の遊びととても近かったのである。

それから私は子供たちとのコミュニケーションでは、その内部で「流行ってるもの」を見てみる、という事前準備をすることにした。…自分はまだガキなのかどうか分からないが、これがまた面白いことがある。コミュニケーションを築く上で大切なツールを手に入れられた。この距離の近さが、「子供が苦手だ」と言う言葉を少し軽くしてくれたように思う。

 

 

 

 


まあ一転、子供との距離を近くしたところで、秩序を保つのは大変だ。走り回り叫ぶ子供、泣き喚く子供はたくさんいる。

これらの問題児には「ちゃんと見てるよ」というメッセージが大切である。児童にそっと近づき、私の両手を児童の肩に乗せる。そして、無言。変化がなかったら「分かってるよね?」といって離れる。問題児は大抵このサイクルでおとなしくなることが分かった。

小学生の頃の脳の発達は皆が思っているよりまだまだ未熟だ。やってはいけないと知りながらやりたい行動を優先させてしまうのも、脳とその後の学習の結果と言える。だから、子供に無言を浴びせることで、脳が冷えるのを待っているのだ。

 


怒鳴ると言うのは大抵逆効果であることも気がついた。怒鳴る時、大抵先生は生徒から離れた位置にいる。離れた位置からでは、「あなたを見ている」というメッセージは物理的な距離により遮断される。

ということで、問題児童の対処はなるべく落ついて、怒鳴らず、静かにをモットーにやってみている。正解かは分からないが、脳の発達的に冷静さを欠いてしまう子供にとっては効果的だと思う。

 

 


結果、マシにはなったとは言え子供は苦手なままだ。ムカつくし、イライラするし殴りたくなる。だが、小学生が私のことを「一番好きな先生」と言ってくれたり、赤ん坊に手を振られたりすると、なんだかあたたかな気持ちを感じてしまうのだ。

 

ただ、私の「子供が苦手なのか」という問いは、「どうすれば子供とうまくやれるのか」という研究命題に変わりつつある。