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【映画レビュー】ワンピースfilmREDは思考実験だ

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か゛わ゛い゛い゛な゛ウ゛タ゛ち゛ゃ゛ん゛

 

では、まずある体験装置を思い浮かべて欲しい。科学者が開発した、何から何まで現実そっくりの疑似体験が出来る装置だ。これを使うと、自分が実際に何かをしていたらなら感じられたであろう感覚や快感を全く同じように、脳内だけで感じられる。

 

体験装置に繋がれている人間は、自分は実験室にいるのだと全く自覚していない。でも、使用者は本当にそのようなことをしていたら体験していたであろう経験を、頭の中で経験している。

 

ちなみに装着中に悪魔に襲われたり、エイリアンに攫われたり、第三次世界大戦が始まったりはしない。もしそうなったとしても、あなたは望みうる最高の体験を装置の中で経験している。

 

 


これは幸せな状態といえるだろうか?

 

 

 


以上は「シミュレーション仮説」と呼ばれる有名な思考実験の一つだ。ここからが本題。

 

 

 音楽の島エレジアで世界を平和にしようと歌を唄うウタだったが、その裏にはウタの人生をかけた計画が隠されていた。それは、自身が持つ“ウタウタの実”の能力で作り出した意識の世界=ウタワールドにファンを閉じ込め、人々を“幸せ”にすることだった。

 

 


このワンピースfilm REDとかいう映画、「シミュレーション仮説」の論争とまったく同じ構造をしているのである。映画で言うと、ウタは快楽主義者(=快楽を幸福とし、痛みを不幸として考える人たち)なのだ。快楽主義者にとってこのシミュレーターは理想郷であり、良い体験のデータファイルさえあれば完璧だ。対してルフィら、ウタ以外の人々は、それに対しノーと答える。映画を見ている私たちのほとんども、これは本当の幸せではないと答えるだろう。でもそれは何でだろう?

 

 

 

シミュレーション仮説の完璧な幸福体験は「何か欠けている」と指摘されることが多い。それは、「体験装置の中で偉大な業績を残したり、思い出を作ったりしたとしても実際には何も得ていない」という点があげられる。装置に繋がれた人は、経験はあっても実績がない。つまり、私たちの「幸福」という概念について考えると、その場の経験などの「内面的な幸福」だけではなく、「外面的な幸福」も欠かせないようだ。ルフィがウタの世界で海賊王になったとしても、現実世界で海賊王になったという実績はないのである。

 

 

 

この映画は、ルフィのかの有名な台詞「海賊王に、俺はなる!」で幕を閉じる。これは、この映画の論争の決着と言えるだろう。彼らはこれからも本当の冒険を求めて旅をする。

 

それぞれに 幸せを目指し
傷ついても それでも 手を伸ばすよ

 

ラストに流れる「風のゆくえ」でも痛みと幸福についての歌詞が流れる。ウタの本当の夢は、「痛みと苦しみの無い幸福」ではなく「痛みと苦しみの先にある幸福」だったのかもしれない。

 

 

 

こういう幸福の議論についていろいろ学びたい人はぜひこの本どぞ