「将来家を出たら、一家に一台君が欲しいな。」なにそれって思った。けど、必要不可欠、な感じがしてすごく嬉しかった。それがこの気持ちの始まりだったと思う。面白そうだねって答えたけど、この夏のずっと先の幸せな未来が見えた気がした。駅のホームから漏れ出た光が私の頰を濡らしている。
私と彼女は、同じ美術部に所属していた。特別厳しい部活ではなかったが、夏休みの間は日が暮れるまで絵を描いていた。十月にある大きな展示会に、作品を提出するためだ。中でも、私達は鍵当番を任されていたので、最後には2人きり、ということも多かったのである。
すっかり暗くなった教室で、筆を握る彼女の典雅な挙止をぼんやり眺めていた。窓から入った街灯のオレンジ色が、彼女の鼻に紅をさしている。まるで絵みたいだ、と思った。けど前に、「絵の中にいる人間は絵なんて描かないでしょ」と言われたので、黙っていた。
「そろそろ帰ろっか」
「うん」
私の展示作品は、六百センチとちょっとくらいの、やや大きめの油絵になる予定だ。人物画じゃなくて風景画。毎晩、彼女とあのオレンジ色の光を眺めていると、あれ以上のものを描ける自信がなかった。だから、風景画なのだ。対して彼女の作品は人物画だった。
「ねー、間に合うかな」
私はなんとなく不安になって言葉を吐いた。
「間に合うかなあ、じゃなくて間に合わせるんだよ」
彼女は笑いながら答えた。
鍵を閉め、帰路につく。駅まで二十分くらいの道のりだ。その間、私達は他愛もない会話をする。たまに、真面目な話をして泣くこともあった。私はその両方に、邪な感情を持っている。「自分だけが知っている」でまるごと塗り替えて、優越をじっくり味わいたい。手だけではなくて心まで繋がってしまいたい。そんなのは、現実には無理なんだろうけど。彼女は、私のそういう邪な感情まで、分かっているのだろうか。
駅前の眩しい光が見える。もうすぐこの時間も終わる。
「じゃあまた明日ね。」
「うん!じゃあね!」
小学生みたいに無邪気な挨拶をした。夏の間永遠に続くようなこの時間をずっと過ごしていたい。
「間に合うかな」
私は作品と、この気持ちの期日を考えて、一人呟いた。