秋は曲者だ。
秋は、夏の影にすっぽりと身を隠してやって来る。だが、人々は夏の騒々しさに気を取られ、秋が支度を終えたことに気付かない。
秋は夏を待っている。
夏が死ぬのを待っている。
夏も終わりに差し掛かり、海に行こうという人は少なくなった。今年は冷夏であったから、避暑に来る家族やらカップルやらも無い。浜には静けさだけが残っていた。この時将来の不安から不眠を患っていた私は、この静かな海水浴場で夜を過ごすのが常になっていた。
ある夜のことだった。不眠の無聊に耐えられず、海水浴場へ足を向けると、入口の、砂とコンクリートの境目に人影が立っているのが見えた。少し近付いてみると、若い男が、ぼっと海を眺めている様であった。
こんな田舎の夜更に、ましてや海水浴場にやってくる人などほとんどいない。珍しく思えて、
「不眠か。」
と声をかけた。すると彼は一言、はい、とだけ返事をした。
これから彼と夜更けによく会うようになった。しかし、あまり大した会話もしなかった。
それから三日、四日が経った頃だった。彼とまた海水浴場で出会った時、彼は突然私に向って、「夏は、いつ終わるのでしょうか」と聞いた。しかしその夜は夏と呼ぶにはあまりに涼しかった。なので、「もう終わったよ」と答えた。「夏が終わるのは、秋が殺してしまうからでしょうか」彼はまた私に聞いた。殺す、という言葉が刃物のようにどんよりと光った感じがした。なので、その問いには答えられなかった。
私がしばらく黙っていると、彼は気不味くなったのか身の上をぽつりぽつり話し始めた。
彼はこの夏、この辺りの下宿に移ったばかりの学生であった。荷物は箱ひとつと、小さな金魚一匹で殆どの物は捨ててしまったそうだ。何となれば、彼がそういう癖だったからだ。彼は、下宿の主人と、秋までには金のことをどうにかすると約束していた。どうやらこれが彼の不眠の理由であるようだ。
「眠って、起きる。記憶が無いのに不思議だと思いませんか。寝ている間にポックリと死ぬまれ。」
「それはそう思うよ、明日があるから眠れない。恋でもしたら変われるのかしら」
「でも、恋というのは、性欲を綺麗に飾っただけの芝居に過ぎないと思います。」
「何、嫌なことでもあったのか」
「家具も恋も、無駄だと思うので………」
「哲学好きですか」
「ま、嫌いじゃない。」
「自分自身の影に無限の嫌悪を感じる者と、無限に愛情を感じる者、どちらが良いのでしょう」
「その中間。」
こんな調子で数週間、ついに夏の端まで来てしまったようである。いつものように海水浴場へ足を向けると、入口の、砂とコンクリートの境目に彼が立っていた。ぼっと海を眺めているかと思うと彼はいきなり走り出し、海へ飛び込んだ。驚いたが、そう思うよりも先に彼の後に続いて海へ飛び込んでいた。冷たかった。
広く、平らな海の表面に私達だけが寝転んでいた。仰向けになってしばらく月を眺めていた。愉快だった。
「夏の不安が、秋に殺されました」
「確かに。」
それから私は、彼に会っていない。